毎年8月16日の夜におこなわれる京都五山の送り火は、全国的にもよく知られた夏の行事であるが、かつては「い」や「一」の文字などの送り火もあった。そのうち、「い」の字の送り火については、多くの資料などから明治期まで現在の京都市左京区静市市原町の向山にあったと考えられている。その送り火があった詳しい場所や、その送り火が消えた理由について、筆者は四半世紀ほど前に小論にまとめたこともあった。
その「い」の字の送り火があった場所について、2018年8月、これまで考えられてきた山とは違う山にあったという説を京都大学の研究者が発表した。その新説は真偽が強く疑われるものであったが、発表直後にテレビや新聞など、いくつものメディアで取り上げられた。また、その後、その情報はウィキペディアなど、インターネット上で広く拡散されている。そのような状況に鑑み、本稿の前半では、その新説の真偽について詳しく検証し、その新説にはまったく理がないことを明らかにした。
一方、本稿の後半では、その検証作業と並行しておこなった現地調査などをもとに、「い」の字の送り火があった場所について改めて考えたことについてまとめた。その調査研究では、四半世紀ほど前には使えなかったGPSや詳しいデジタル地形情報、またそれらの機器やデータと連動する優れた地理情報ソフトウェアも使用した。その結果、明治期まであった「い」の送り火の下方に、より古い時代には別の「い」の送り火があった可能性が見えてきた。