厳島神社(広島県廿日市市)は国内でもよく知られた重要な神社の一つである。その神社の社叢は近年スギが目立ってきているが,その植生景観が江戸初期以降どのように移り変わってきたのか,その概要を述べるとともに,その神社の明治中期から1955年(昭和30年)までの社務日誌をもとに,ここ約100間のその植生景観変遷の背景について考えてみた。
その結果,社務日誌の記述が確認できる明治中期以降70年あまりの間には,厳島神社の社叢の植生景観に影響を与えたか与えた可能性があるさまざまな出来事があったことがわかった。中でも,その社叢の樹木の折損・倒木や伐採は,短期間にその植生景観に大きな変化をもたらしたと考えられる。また,かつて昭和初頭頃までは,その社叢にケヤキが主要な樹木として存在していたことが明らかになった。
一方,近年その社叢にはスギが目立つが,それは倒木などにより消えてゆく木がある中で,かつて植えられたスギが成長してきているためである可能性もある。厳島神社の職員への問い合わせによると,社叢のスギは植えたものかどうかは分からないとのことであるが,社務日誌の記述から,明治44年(1911)にその社叢にスギが植えられた可能性も考えられる。
また,その社叢にスギが主体となってきている別の理由の可能性として,その地で自生のスギが大きく成長してきている可能性も考えられる。スギの発芽・成長には水分とともに,適度な光が重要であるが,社務日誌で確認できる社叢中のケヤキなどの折損・倒木あるいは伐採によりできたギャップはスギの実生の発生・成長を促した可能性も考えられる。さらに別の可能性として,近年目立ってきているそれらのスギには,植えられたものもあれば,自生のものもあるのかもしれない。もしその社叢のスギのDNA分析などができれば,その答えが出るように思われる。