1929年末に発表された、村嶋歸之の「大阪カフエー弾圧史」を読み解き、1911年から1929年までの、大阪における警察力のカフェー介入をフェーズに分けることが可能であることを示した。
「大阪カフエー弾圧史」を詳しく検討すると、カフェーへの警察の介入は3フェーズに分けることが可能である。第1フェースは無介入・非介入の時期。これはあまり長くは続かなかった。カフェーの客層が大衆化するに従い、不良少年団がカフェーで事件を起こすようになり、それを機会に警察の介入が始まる。これが第2フェーズである。この第2フェーズでは、不良少年規制、問題女給規制、売春事例への注視、建築内装への規制介入がなされた。第3フェーズは、カフェー側の内実の変容と関係する。最も象徴的なのはダンスの導入であるが、それ以外に、女給の「距離の近接」と「服装の華美化」が生じ、また、大型化、システムの改変、ジャズなどの生演奏の導入、ステージダンスなどの演出の形成が行なわれるようになり、対応して警察側は強力な規制の導入を図った。つまり、警察力の介入は第3フェーズへと移行した。
この「カフェーへの警察介入の3フェーズ図式」は、大阪の場合であるが、京都でも有効である可能性があり、京都府における警察力のカフェー介入の根拠となる府令の進展や、新聞等の資料から推測可能な警察のカフェー介入の実際と照らし合わせながら、今後検討していきたい。