主に「報道写真」を用いて、「女給スタイル」の変遷を1911年から1931年までの20年間たどった。
仮設的に提示したこと。
1)「女給」の着物の制服および白いエプロン着用は、カフェーライオンからスタートした。
2)「女給」の脱エプロンは大阪(ユニオン)からはじまった可能性が高いが、写真としては、「赤玉食堂」(1927年)が今回確かめることができた最も古いものである。
3)今回の写真で見る限り、東京での脱エプロンは、1929年頃と考えられる。
4)自前洋装の女給の写真は、今回確認できたものでは、1929年の京都のものが一番古い。