学会発表

氏名 斎藤 光
氏名(カナ) サイトウ ヒカル
氏名(英語) SAITOH Hikaru

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発表タイトル

日本語文化圏の「カフエー」とは何だったか

単独・共同の別

単独

学会・大会名名称

国際日本文化研究センター・共同研究:近代東アジアの風俗史(2020年12月26日・27日開催)(発表は12月26日)

発表場所

国際日本文化研究センター

発表年月日

202012

国内外の区分

国内

概要

①前回、主に「報道写真」を用いて、「女給スタイル」の変遷を1911年から1931年までの20年間たどったが、それへの追加と訂正。
つかされた事実の主なもの。
1)1928年に大阪で「支那」服の女給がいたことが写真から確認された。
2)自前洋装の女給の写真が、前回一番古いとした1929年の京都のものに代わり、1928年の大阪のものが確認された。
3)1930年代前半に、東京の「大カフェー」で、ドレス女給が登場した。大阪でも同じころに登場している。

②日本語文化圏における「カフェー」の位置づけとして三点仮設的に提示した。
A)日本語文化圏におけるカフェーの意味として、近代化の必然的要素として位置づく。
B)「飲食文化」における西洋と日本の非対称性の文化的前線が通るところと位置づけられる。
C)ジェンダーにおける非対称性の文化的前線が通るところと位置づけることができる。