①前回、主に「報道写真」を用いて、「女給スタイル」の変遷を1911年から1931年までの20年間たどったが、それへの追加と訂正。
つかされた事実の主なもの。
1)1928年に大阪で「支那」服の女給がいたことが写真から確認された。
2)自前洋装の女給の写真が、前回一番古いとした1929年の京都のものに代わり、1928年の大阪のものが確認された。
3)1930年代前半に、東京の「大カフェー」で、ドレス女給が登場した。大阪でも同じころに登場している。
②日本語文化圏における「カフェー」の位置づけとして三点仮設的に提示した。
A)日本語文化圏におけるカフェーの意味として、近代化の必然的要素として位置づく。
B)「飲食文化」における西洋と日本の非対称性の文化的前線が通るところと位置づけられる。
C)ジェンダーにおける非対称性の文化的前線が通るところと位置づけることができる。