2022年、人民日報など官営メディアや中国国家広(こう)播(はん)電(でん)視(し)総局(略称:広電総局)の公式サイトでは、「中国動画100周年」の関連記事が連発され、「中国アニメーションは、誕生した日から中国伝統美術の影響を受けて」 発展してきたことを紹介した。また、同年に日本で出版された『中国アニメーション史』 も日本のアニメーション研究者の注目を集め、その表紙には「95 Years-The History of China’s Animation(1922-2017)」と書いていることから、つまり2022年は100周年となる。しかし、前回「中国動画」に対して大規模な「お祝い」が開催されたのは2015年のことだ。当時、北京にて上海美術電影制片厰主催の「中国動漫90周年記念展」が開催され、中央テレビ局は「中国最初のアニメーション『大鬧画室』の発表を記念する」 と報道した。 中国最初のアニメーションはいつ作られたのか、「動漫」と「動画」は同じ意味なのか、『大鬧画室』はアメリカ製アニメーションの「Out of the Inkwell」シリーズを参考に作られたが、中国伝統美術の影響は反映されていないのか…このような矛盾する認識、一致しない「呼称」は、今でも中国アニメーション史研究において解明されていない。その結果、海外でも不確実な情報が流布し、「誤解」を引き起こしている。例えば、杉並アニメーションミュージアムの公式簡体字資料では、「動漫」が「アニメ」の翻訳として使われている(繁体字バージョンでは「動画」)。筆者はこのような違和感から中国アニメーション史の再検証を行い、本稿(本発表)では、概念の変遷から中国20世紀アニメーション史を整理することを試みる。