新潟市南区にある⽩根では、毎年 6 ⽉に 6 ⽇間、中野⼝川河岸の同じ場所で(300m にもわたる)、⼤凧合戦が開催される。そのまつりには 300 年もの歴史があるようだが、競技のルールは 100 年ほど前にオーストリア=ハンガリーのレルヒ中佐(Theodor Edler von Lerch, 1869-1945)によって定められた。⽩根の歴史と住⺠にとって、その凧合戦はとても重要なイベントで、今⽇では⽩根のシンボルになっている。本発表では、何故そのイベントが⽩根のシンボルになったのか、三つのポイントについて話したいと思う。 ⼀番⽬のポイントは「都市の設⽴のシンボルとしての凧合戦の始まりの伝説」。このまつりにはいくつもの伝説があるが、すべての話でひとつ共通点がある。凧合戦には「戦い、争い」のイメージがあるのに、都市の基礎のシンボルとなっている点である。凧合戦は、対⽴しあいながら競うゲームであるのに、どのように都市の建設に影響を及ぼしたのか?住⺠同⼠を近づけて、社会の紐帯を⽣み出すと⾔えるだろうか? ⼆番⽬のポイントは「第⼆次世界⼤戦中の凧合戦のシンボル」。戦時中の難しい状況の中、⽩根の⼤凧合戦を続けるために、凧のイコノグラフィはどう変化したのか?凧合戦を表すイメージをどのように使⽤したのか?そして、⽩根の⼤凧合戦を続けることにどのような重要性があったのか? 三番⽬のポイントは「凧博物館 凧への地元の愛のシンボル」。⽩根で、1994 年に「しろね⼤凧と歴史の館」が設⽴された。この博物館の設⽴には、公的資⾦が投⼊され、建物の形も、コレクションの内容も展⽰の仕⽅も決定したのは、⽩根の三⼈の凧愛好者である。この博物館を⾒学するとき、⽩根と凧の間にはどのようなつながりがあると感じるだろうか?