本論文では、慶長遣欧使節にマドリッドからローマまで通訳兼折衝役として同行し、後にその体験を基に『伊達政宗遣欧使節記』(1615年)Historia del Regno di Voxu del Giapponeを著したイタリア人シピオーネ・アマーティ(Scipione Amati 1583~1653)の手稿「日本略記」Breve Ristretto delli tré Stati Naturale, Religioso, e Politico del Giaponeを取り上げ、多くの引用が認められるルイス・デ・グスマン(Luis de Guzmán 1543~1605)著『東方伝道史』(1601年)Historia de las Misionesとの比較を試み、「日本略記」第一章、第二章に該当する「博物誌」(stato naturale)、「宗教誌」(stato religioso)における典拠の形態の分析を進めるとともに、そこからアマーティの著述意図の一端を考察していく。