研究は先人の仕事の積み重ねの上にある。だから、その歴史を確認することも、大切な研究の一つであると認識している。私が対象とする南島歌謡研究史のうえで重要な仕事をなした研究者の一人である小野重朗氏について、彼の仕事を確認する文章を一九九六年に書くことがあった。そのさい、氏の研究のなかで欠かせない論文ではないかとタイトルから推測されるものの、当時いくら探しても本文を読むことができなかったものが少数あった。結果的には、それ無しで、彼の仕事を「小野重朗の歌謡表現論 ││未完の系統樹として││」(平成八年、一九九六年、『世礼国男と沖縄学の時代』〈森話社、平成三〇年、二〇一八年〉所収)としてまとめた。最近見出することを得た「抒情詩の発生││琉球文学史論より││」という長編論文は、私が存在を確認できなかったものの一つであり、昭和二九(一九五四)年に、福岡県の出版社から刊行された総合文化同人雑誌に連載されたものであった。当時小野氏は鹿児島の高校の生物教師であり、また、後に小野氏自身もこれについて言及することがなかったこともあり、他の研究者からもその存在が知られることがなく、これまで研究史に位置づけられることはなかった。だが、これを今読んでみると、研究史的にも当時としては先駆的なものであり、現在から見てもたいへん優れた内容だと評価できることがわかった。小野氏には、これより前に戦時中に刊行された『琉球文学』(昭和一八年、一九四三年)という著書があることも知られており、これについての位置付けも十分さなれているとはいいがたい。今回の発表では、見出した論文の内容を紹介することを中心に、これを南島歌謡研究史上に定位しながら、小野氏の、特に初期の南島歌謡研究についての再確認を試みたい。それは、世礼国男という先人に導かれながらも、これを独自に発展させ、深化させたものであることがわかる。