1926年、英国の作家ヴァージニア・ウルフは映画に関するエッセイの2つのヴァージョンを出版し、そのなかでフランスの前衛映画やハリウッドの物語映画とも違う日常的な光景を描写する映画的イメージによって喚起される「奇妙な感覚」について言及している。彼女自身はこの感覚に適切な名前をつけるには英語の語彙は乏しすぎると不満をこぼしていはいるものの、彼女が実際にそこで何を把握していたのかは、この2つのヴァージョンを比較することによって、また彼女の日記や他のエッセイ、1927年の『燈台へ』といった作品など、さらにはブルームズベリー・グループでの彼女の友人らの論文といった、いくつかの資料を検討することによって明らかにすることができる。結論として、彼女が言及したこの「奇妙な感覚」は、日常的な光景の撮影が、一方では映画館ないの生きられた時間から、他方では映画作品の語りの進展から、観客を強烈に引き離すこと、そして映写の時間と撮影された過去の時間という2つの時間が、その隔たりを取り消されることなく直接に結びつけられることに由来していることが分かる。ヴァージニア・ウルフはこのような時間感覚を理解していたにもかかわらず、この発見は、同時代の英国でも起こった前衛映画作家らの実験、D・W・グリフィスによって創始されたばかりのハリウッド映画のコンティニュイティ編集、そしてセルゲイ/エイゼンシュテインの『戦艦ポチョムキン』(1927)において頂点に達するモンタージュ理論によって歴史的には覆い隠されてしまったのである。