学会発表

氏名 安田 昌弘
氏名(カナ) ヤスダ マサヒロ
氏名(英語) YASUDA Masahiro

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発表タイトル

ラップと黒人ディアスポラ

単独・共同の別

単独

学会・大会名名称

日本歌謡学会令和4年春季大会

発表場所

京都精華大学

発表年月日

202205

国内外の区分

国内

概要

イギリスの民俗音楽学者デヴィッド・ハーカーは、1985年に出版した『Fakesong: The Manufacture of British Folksong 1700 to the Present Day』(Open UP: Milton Keynes)という本のなかで、民謡保存会で歌われたり、学校で教えられたりするフォークソング(民謡)は、それがどのような力関係によって媒介され現在まで途絶えずに歌い続けられているかの分析を欠いている限り、フォークではなくフェークソング(ニセ民謡)だと指摘した。民謡保存会という言葉が示すとおり、我々はともすると、蝶の標本のように民謡を《完全な形》で採取し、特定の節回しや振り付けを《正統》として固定してしまう。しかし民謡(民衆のうた)が秘めている力は、それが固定されておらず、常に変わることができることのなかにあるのではないか。
その最近の例として、1914年に作曲されたウクライナの軍隊行進曲「Oh, the Red Viburnum in the Meadow(ああ、草原の赤きガマズミよ)」が挙げられる。ウクライナのロックグループのボーカリストがキーフで歌ったこのうたの動画が世界中に広まり、ロシアの行動に反対する多くのアーティストによって、様々に「変奏」され話題となっているのだ。仕事柄いろいろな国歌や軍歌の替え歌や変奏曲を聞くことが多いが、一〇〇年以上前のうたが、ドラムマシンやシンセサイザーなどの電子楽器を使って変奏されてもイロニー的嘲笑に陥らず、自由のために祖国を守るというメッセージを伝え得ていることは驚きに値する。「君が代」の演奏にギターやドラムスが入ったらたちまちイロニーになってしまうだろう。それは国家権力による統制であり、民謡とは話が違う、と言うかもしれない。しかしそれは知的権力を振りかざして人々のうたを保存=固定してしまうこととどれくらい違うのだろうか?
本報告では、ラップという、一般的にアメリカの大都市の貧民地区の疎外された黒人たちが生み出したとされる文化――あるいは歌謡様式――に注目し、「うたう/音楽する」という活動を、特定の時代や場所、様式や正統性にピンダウンして論じることの暴力性について、それがうたを分析可能とする一方でその力を削いでしまうことについて、一緒に考えてみたい。