よく知られるように、谷崎潤一郎は生涯で三度、「源氏物語」の現代語訳に手を染めている。しかし、『潤一郎訳源氏物語』(一九三九~四一)、『潤一郎新訳源氏物語』(一九五一~五四)、『潤一郎新々訳源氏物語』(一九六四~六五)と繰り返された訳業のうち、戦時下に刊行された最初の訳からは光源氏と藤壷の演じる禁断の恋が削除されるなど(当該箇所は戦後あらためて「藤壺」として訳出、つづく『新訳』は完訳となる)、その〈源氏物語体験〉(秦恒平『谷崎潤一郎〈源氏物語〉体験』)の内実は一様ではなかった。発表では、これまで非公開であった『潤一郎訳源氏物語』の自筆原稿の調査の成果にふれながら、「源氏物語」の最終帖と同名の小説「夢の浮橋」(『中央公論』一九五九・一〇)について、作品の舞台(後の潺湲亭)のフィールド・ワークや物語論を参照して、同作と「源氏物語」に通じる〈分身〉と〈変身〉の主題を論じたい。